(6日目)
朝6:30に起床。7:45にはホテルを出発してジャイプールの町から11km離れた岩山の頂にそびえ立つ巨大な城アンベール城に向かった。この城は巨大なムガール帝国にも屈しなかった勇敢なラージプート族が築いたもので、周囲は堅牢な城壁で囲まれ敵に対して戦力的に優れた構造を持つ。中は迷路のような造りをしており外からは想像もできない優美な姿は当時君臨したマハラジャの誇り高さを偲ばせるものがあった。特にその幾何学的模様の装飾は大変素晴らしく私は写真とビデオに収めようとしたが、どう言う訳か例によってカメラが作動せずあきらめざるを得なかった。残念なことに私は象のタクシーに乗るつもりで楽しみにしていたが、列を成して待つ観光客の多さに断念しジープに乗ってガタガタのくねり道を走ることになってしまった。ここでも象の装飾品などを売る子供2、3人がジープにしがみついて来てこれにはあきれ果てるしかなかった。
午後から260kmの距離を4時間半かけて最後の訪問地デリーに向かう予定であったが、実際にはデリーに入ったあと、道が渋滞していてまったく前に進むことができず、さらにここでも2グループの内、あとの組になった私たち4人がホテルに到着した時は夜の19:00を回っており、結局移動になんと7時間を要した。途中夕食のため、ジャパニーズ・チャイニーズレストランと称する店に連れて行かれ日本料理っぽいものとごった煮の海鮮鍋、チャーハンなどが出されたが、疲れ果てていたメンバーは皆久しぶりに食べなれた味を口にして気分が和らいだ。
(7日目)
ちょっと遅いモーニングコールで起床し、ホテルを出発したのは9:00過ぎであった。デリー市内観光最初の訪問地は世界遺産であるクトゥブミナールだ。ここはニューデリーの南郊外にあり、平原にひときわ高くそびえ立つ塔はインドに最初に飛行機が着陸する寸前私が見たものだった。土台は赤砂岩でその上部は大理石と砂岩でできており高さは意外に見た目よりも低く72.5mとのことだった。ガイドさんが「昔この塔は高さが100mほどあったが飛行機が衝突してしまって現在の高さになった。」と話していたが実際にはそういうことはなかったようだ。
次にタジマハールがこれを模倣して造ったと伝えられるイスラム建築の傑作で世界遺産のフマユーン廟を訪れた。そして大統領官邸と国会議事堂をバスの中から見学した後インドの象徴とも称されるインド門に到着した。インド門は高さが42mもあって私が想像していたよりも立派なものであった。その雄大な全景を写真に収めようとしたが多くの観光客に阻まれてなかなか良いシャッターチャンスに恵まれなかった。ここでもあい変わらず物売りが私たちの周りにたかって来て、行く手を遮るのに苦悩した。その後、インド最後の訪問地のガンジーが永眠する記念公園(ヒンドゥー教のため墓標は無い)を訪れた。
そして実際に生活するインド人家庭を訪問するためバスに乗り込んで、途中車窓越しにラクシュミー・ナーラーヤン寺院を写真に収めた。向かった先は日本で言うところの団地様式のマンションで訪れた一家はインドでは中流で家族3人に住み込みの手伝いさん1人、メイド1人であった。ここではインド式のお茶チャイとクッキーをご馳走になったが、失礼ながら私にはどうしても中流家庭とは思われなかった。
インド家庭訪問のあとは帰途につくべくデリー空港に直接向かった。空港内はめちゃくちゃの混雑で出国手続きに手間取ることが予測された。しかし私だけ運良くビジネスクラスを取っていたため早くチェックインすることができた。メンバーのあとの6人は長い行列に並んでなかなかチェックインできず私は彼らをただ待ち続けるしかなかった。さらに悪いことに前日空港周辺が濃い霧のため日本からの便が着陸することができなく飛行機が着かなかったため前日予約の客が優先するということを知らされた。そのため、急きょカルカッタから手配されたものとなり東京直行ではなくバンコク経由とのことだった。しかしビジネスクラスの私だけは運良く搭乗することができたが、残りのメンバーはどうやら翌日の便に回されてしまったようだ。まったくインドという国は本当にいい加減というかどうにも日本人である私には理解に苦しむ国だ。
8日間におよぶ北インドの旅であったが出発前日本にいていろいろな情報から想像していたインドとは異なり、私にはどう見てもこれから飛躍的に発展する国とは思われなかった。極端な貧富の差に加えてインドという国を複雑にしているのはその宗教にあると私は感じた。インドの宗教は非常に多元的に共存しており、そのため宗教による民族間のいさかいが絶えず起こっている。もともとインドは仏教国であったが現在その仏教は衰退して、今ではヒンドゥー教徒が60%、イスラム教徒が25%を占め、次いでキリスト教徒、仏教徒、シク教徒、ジャイナ教徒全てで15%と言うことだ。過去にインドは東西パキスタンを含める巨大な国土を有していたが、ヒンドゥー教とイスラム教の対立により現在のパキスタンとバングラデシュはそれぞれ独立して別の国となった。そして今でも北のカシミール地方では印パ戦争が続いている。
IT産業を始めとしてアジア随一の科学的発展を遂げつつあると伝えられるインドではあるが、実際その姿を目の当たりにした私にとってどうひいき目に見ても今後本当に経済大国になるかは疑わしいというのが率直な感想であった。
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