美しい街並みを残す古都
<ブルガリア編>
(第4日目)
朝7時に起床して、朝食後、旧市街を通ってツァレヴェッツの丘に行った。ベリコ・タルノボはブルガリア最大の山脈の一つバルカン山脈の東部にある。森に包まれた丘が散在し、周囲を曲がりくねったヤントラ川の切り立つ崖の光景は素晴らしく訪れる人を驚かす。丘の頂上にでんと建つ大主教区教会は幻想的であったが、残念ながら時間の関係で上ることが出来なかった。さあこれから国境を通過して、次の訪問地ルーマニアのシナイアへ5時間かけて行くことになる。
<ルーマニア編>
国境の手前のルセというブルガリア第4の都市で昼食を摂った。近くにドナウ川が流れ対岸がルーマニアである。ここでは、シスニッツェル(ルーマニア風カツレツ)という料理を食べた。
その後、国境を越えて近くのガソリンスタンドでルーマニアサイドのガイドと合流して最初の訪問地シナイアに向かった。シナイアはルーマニアの中央のカルパチア山脈の一角に位置する町で、「カルパチアの真珠」の愛称で知られている景勝地である。この町は、社会主義時代の集合住宅が多く、その合間に歴史的建築物が立っている町並みは、他の都市にはないものがある。
最初に訪れたカロル1世がルーマニア王室の夏の離宮として建てたペレシュ城は華やかで壮大なヨーロッパでも屈指の城である。現在は博物館として使用しているようだ 。 ドイツ・ルネッサンス、バロック、ロココの各様式の建築で、数多くの彫刻、噴水が配された庭園からは、シナイアの渓谷が一望できる。まさに避暑地としては理想的である。ただ、外観はドイツとスイスをミックスしたような感じである。宮殿内部 の写真撮影には、30レイ(約800円)必要で、靴カバーを履かされた。何しろ160もの部屋がるので、見学するのも大変である。儀式の間、武器コレクション室その他数多くあったのでここでは割愛する。
カロル1世はすごい美術品、陶磁器、金銀品、宝飾品などの収集家で、それらがところ狭しと展示されていた。昔の王様は金銀財宝がお好きのようで、どこの国でも苦労するのは庶民のようである。
夕食は、ルーマニア料理の中でも、最も美味しいとされるサルマーレ(ルーマニア風ロールキャベツ)と温かいスープだった。デザートは大好きなテラミスだったのでご機嫌であった。そろそろ旅の疲れが出たせいかこの日は爆睡した。
(第5日目)
早朝、ホテルを発ち、約3時間30分かけて次の訪問地シギショアラへ向かった。中世の面影を色濃く残す街並みは何か素朴な魅力があり、見る物がすべて新鮮に見えた。旧市街全体はロッパ特用の石畳で、街は中世の家々が軒を連ね、その途中にカフェ、雑貨店、教会、博物館があった。ぶらりと歩いていても楽しい所である。
この街の代表的建物の「時計の塔」は、時間になると、からくり人形が出てきて踊るということで、おおくの観光客が今か今かと待っていたが、故障しているのか、長い間働き通しで疲れたのか、ほとんど動かなかった。残念至極!!しかし時計のそばにドラキュラの実家があり、今はレストランに姿を変えて営業している。
我々もこのドラキュラのレストランへと入った。中には最近ドラキュラの博物館がつくられていた。最初のドアを開けると、薄暗い部屋があり、中央部に白い顔でマントを付けた御仁が寝ていた。近づくと突然その男が起き上がってきたのには驚いた。ジャジャジャーン!! ドラキュラの登場である。
ともかくこのレストランで昼食を済ませてから、ここから約30分車で行った所に、ピエルタン要塞教会がある。最初はカトリック教会として使われたが、16世紀初頭の宗教改革以降エヴァンゼル教会となった。
オスマントルコの侵略を防ぐため、三重の巨大な厚い壁に守られているのが特徴である。教会内部は、正面に素晴らしい祭壇があり、その左手奥に、「財宝蔵」が見られ、樫の木製の頑丈な扉が付けられ、表側には美しい彫り込みのデザインが施されている。注目すべきは、19種類のロック装置。このうち4種類は鍵で動かし、残り15種類はレバーで動かすようになっているというが、残念ながら、管理人が居なくて開けてもらえなかった。何しろヨーロッパは教会の多い所だと改めて思わされた。
この日の見学を全部終えて、今夜の宿泊地ブラショフへ約3時間かけて向かった。夕食は野菜ベースのスープ、ソーセイジに豆の煮込み、デザートは有名なパパナッシュ(ドイツ風ドーナッツ)で、美味しい地元のワインと共に楽しんだ。
(第6日目)
今日見学するブラショフは中世の町並みを残こした美しい古都で、古き良きヨーロッパの趣を醸し出している。(写真24中世の町並みを残こす建築物)特に旧市街は中世そのままで素晴らしかった。12世紀ドイツの商人がこの町を造った。そこにルーマニア人、ハンガリー人の民族が入ってきて発展していったといわれている。
ブラショフでは何と言っても“吸血鬼ドラキュラ”の居城としてモデルになった『ブラン城』がある。14世紀に建てられたもので、ヴラド三世(ヴラド・ツェペシュ伯爵)がモデルといわれ、アイルランド人小説家ブラム・ストーカーが怪奇小説の古典、『ドラキュラ』を書きあげたことで有名である。現在は博物館として見学できる。城の中は、王の執務室など部屋があり、4世紀と19世紀の、武器、鎧、家具、絵、イコンなどが展示されていた。塔の最上階からは周辺の風景が見渡せる。
この城は、迷路みたいになっていて通路が狭いので見学するのが大変である。見学者のおじいさんでこの城にぴったりマッチした御仁がいたので一緒に写真におさめてもらった。売店にはドラキュラグッズがいっぱいあり、ついつい買ってしまった。
昼食後、聖ニコラエ教会へ行った。この協会は14世紀に建立され、ゴシック様式で石造りの立派な外観を持つルーマニア正教教会で、左手の立派な建物にはルーマニア語で初めて教育が行われた国内最古の学校があり、現在は博物館として使われているらしい。教会内は、撮影禁止であったが、2枚くらい取らしていただいた。
聖ニコラエ教会から歩いてすぐのところに、高さ65mの黒の教会がある。この協会は。トランシルヴァニア地方で最大規模の後期ゴシック建築である。1869年にブラショフがハプスブルクの軍隊に攻められて、火事でこの教会も焼け、この時、外の壁が黒焦げになったことから「黒の教会」と呼ばれるようになったようだ。今でも建物の所々に戦火の跡を観ることが出来る。教会の内部には、4000本ものパイプと4つの鍵盤を備えた、ルーマニア最大級のパイプオルガンが飾られていた。
ホテルに帰る前に、スケイ門を抜けて街の中心にあるスファルトゥルイ広場に出てみた。ここで同行者がトイレに行った際、ベンチに腰かけていたら、怪しげな2人が近づいてきた。どう見てもスリや窃盗を目的とした輩である。私は米国生活の経験から危機管理が強いのでGo away!と追っ払った。どうもヘルメスのバッグとコーチのショルダーを預かって持っていたのでお金を持っていると思ったらしい。海外に行くときは高級ブランド物を持っていると狙われやすいようだ。
さて話は戻るが、旧市庁舎(現歴史博物館)のある広場からレピブリチ通りを散策してみた。
通りの両側はカフェやレストラン、お土産屋が軒を連ね、中世風の建築物が1q以上にわたって立ち並んでいた。通りの突き当りには美術館、民俗博物館、中央公園などが集まっている。われわれは通りの一角にあるレストランに行った。このパブ・レストラン(Cerbul Carpatin・カルパティアの鹿)は、フォークロアディナーショウ(民族ショー)でルーマニアダンスを鑑賞しながら食事を供するというもので結構エンジョイが出来た。私も飛び入りで踊らされた。
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