プーシア州のバーリを出発してバスで1時間30分、洞窟住居で知られるバジリカータ州マテーラに向かった。マテーラは1993年、ユネスコ遺産として登録された町で、丘の上に位置する。最初に見えてきたのは大聖堂の塔だ。凝灰岩でできている丘の頂にはチヴィタ(都市)と呼ばれる旧市街、そしてその西側の斜面には新市街が広がっている。東側はグラヴィーナ川に侵食されて深い峡谷となり、断崖や急斜面が続く地形である。そこには14世紀に築かれたとされる城壁が一部残っていた。細い坂道を登り切るとドゥオーモ広場にたどりついた。その広場から見るサッシ(洞窟住宅)の旧市街の光景はまさに圧巻である。そしてトンネルの様な路地を抜けるとそこには洞窟住宅が間近に立ち並んでいて、ふとこれはどこかで見たことのある光景であることを思い出した。それは昨年世界に公開されて反響を呼んだ映画「パッション」に出てくる場面そのものであった。現地の人に確認してみると、やはりその映画のロケーションとして使われたとのことであった。旧市街を抜け新市街に入ると今度はサッシとはまるきり趣の異なる建物が目の前に広がっていて、二つの顔を持つマテーラを実感した。
マテーラを後にして、次の訪問地アルベロベッロに向かった。なだらかな丘が続く農村地帯を過ぎると牧草地が続き、ブドウやオリーブ、アーモンドの畑が広がっていた。そしてキノコのカサの様な屋根をもった奇妙な建物「トゥルッリ」がポツリポツリと見えてきた。アルベロベッロの中心地ポポロ広場には1400棟ものトゥルッリが立ち並び、それは現代のおとぎの国を思わせる光景であった。アルベロベッロはイタリア語で「美しい木」という意味で、私が想像していた以上に旧市街は広く、あたかもタイムトンネルを通って中世に戻った気分にさせられた。昼食にはこの地方の名物であるパスタ「小さな耳」(オレキエッテ)が出されたが、マカロニやオレキエッテが苦手な私はほとんど口にしなかった。空腹に耐えながら私は再びバーリに戻った。
そして7日目、バーリを早朝に出発して移動すること261km、ナポリに入った。ナポリは車窓より見学するのみでさらにポンペイに向かった。ポンペイではあいにく小雨交じりで多少肌寒いくらいであった。この古代都市ポンペイは2000年以上も前に栄え、ヴェスーヴィオ火山の噴火によって一日にして火山灰にうずもれた町として有名である。ここの遺跡は世界遺産にも登録された荘厳なつくりで、かつてはスポーツジムや共同浴場、居酒屋、神殿などが存在したと言われている。以前私がイタリアを訪れたときは旅行中風邪をこじらせてしまいポンペイに来ることができず残念な思いをしたが、今回は体調も万全でゆっくり見学することができた。ポンペイを発ってその夜の宿泊地ナポリに到着した。夕食には超ビックサイズの名物ピッツァがテーブルに供され、驚いた。
8日目、午前中はナポリの国立考古学博物館を見学した。この建物は1585年騎兵隊兵舎として建てられ1777年に博物館に改築されたものだ。ここには有名な「ファルネーゼの雄牛」、モザイクの傑作「アレクサンドロ大王の戦い」や、四人の天使を描いた青いガラス壷などが広い空間の中に整然と展示されていた。たまたま我々が見学したこの日は職員がストライキ中で、正面玄関は閉じられていたが、なぜか運良く我々のグループは入館することができた。しかし、私のナポリの印象は「暗い泥棒の多い町」であり、あまり良い印象とはならなかった。せめて買い物好きな私にはうってつけな町だと思われたが、これも危険を理由にガイドに止められてしまった。
午後には「青の洞窟」で有名なカプリ島へ渡り、「青の洞窟」観光を予定していた。せっかく訪れたカプリ島の冬の海は波が高く予定を叶えることができなかった。私としては、この旅行の最大の目的であった「青の洞窟」観光ができなかったことは、返す返す残念であった。ということであまり良い印象を抱くこともなくカプリ島から再びナポリへ戻った。そして、その夜の夕食はディナー形式で地元の美味しい魚のグリルをワイン片手に食し、翌日はもうミラノ経由で日本に帰国するということもあって、同行した仲間と夜遅くまで飲み明かした。
こうして今回の南イタリアの旅は私にとって、歴史や遺跡などさまざまなことを学ばせてくれる有意義なものとなった。
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