〜数千年の文明を育んだ東西文明の十字路〜
4年前のギリシャとトルコ研修旅行の際、西洋医学の発祥の地クニドスとマルマリスを訪れたことがある。その時は一日のトルコ滞在であったが、今回は本格的にトルコという国を知るべく10日間の旅を企画した。トルコといえばアジアとヨーロッパ大陸を結ぶ東西文明の十字路に当たり、アナトリア文明の発祥の地であるがゆえ、出発前から期待に胸を膨らませた。
(第1日目)
14時25分トルコ航空51便でイスタンブールに向け12時間45分の旅に出発した。イスタンブールには定刻より10分早い20時にアタテュルク空港に到着した。簡単な入国手続きを終えロビーに出たらなんとインドで経験したのと同じくらい沢山の出迎えの人がいたのには驚いた。そのままイスタンブールのホテルに入った。
(第2日目)
朝、7時のモーニングコールで起こされ、ホテルを8時半に出発しイスタンブールの市内観光に出かけた。まずスルタンアフメットの一角に大小のドームが優美なピラミッドを構成するブルーモスクがある。ここはトルコで一番大きいイスラム教の寺院で高さは43mもあり特にモスクの尖塔が6本あって、何かトルコの雄大さを象徴する建築物である。次にトプカプ宮殿、地下宮殿と見学した。トプカプ宮殿は70m2に及ぶ敷地に4つの内庭、モスク、ハーレム、宝物殿などがあり、帝国オスマン・トルコを象徴する宮殿である。特にハーレムと宝物殿は素晴らしく我々見学者を魅了した。ここでのエピソードをひとつ。この宮殿に入場のため待っていた時、珍しい生き物を見た。体がカラスであって色が鳩という「カラス鳩」である。おそらくトルコにしかいない鳥ではないだろうか。この宮殿に訪れた時ちょうどエルドアン・トルコ首相が来訪していて警備が厳しくあちこちでボディチェックを受けた。次に宮殿から歩いて10分のところにイエレバタン大通りがありそこに目立たないように円形状の建物があった。そこに地下宮殿が作られていた。これは実際は地下貯水槽で、戦時下、水に困らないために建設されたようであるが、これがなんと長さ140m幅70mの貯水槽は336本のビザンティン様式の柱で支えられもので、美しくライトアップされた水と石の柱の幻想的な地下宮殿があった。私もいろんな国を訪れているがこんなきれいな地下宮殿を見たことがない。お昼は金棒に巻き付けた肉を直火で焼き、焼けた表面をナイフでそぎ落として食べる名物ドネル・ケバブを頂いた。午後から軍事博物館を見学した。玄関の前庭にある大きな戦車と弾を背負った兵士の彫像が印象的であった。ここの博物館で貴重なものを見た。それはオスマン・トルコが東ローマ帝国に襲い掛かった際の、金角湾を封鎖した太い鉄鎖が展示されていた。またこの博物館の一角にオスマン軍楽隊メフテルの行進と演奏を聴くことができた。このメフテルは世界最初の軍楽隊であるといわれているともかく勇壮な行進と演奏が素晴らしかった。
(第3日目)
超早いモーニングコールに起こされ、ホテルを7時に出発し空港に向かった。次の訪問地トルコの首都アンカラに行くためである。アンカラではアナトリア文明博物館(考古学博物館)を見学した。次にトルコ共和国建国の父アタテュルク霊廟を訪れた。ちょうど我々が行ったときには衛兵の交代が行われていた。アタテュルクはトルコ人にとっては忘れられない存在で彼の遺影の前では必ず国民は頭を下げるという。私も吊られて、つい頭を下げた。この丘からのアンカラの素晴らしい街並みが印象に残った。昼食後バスで約290km離れたアナトリア平原の中央部にある奇岩群のあるカッパドキアに向けて走った。途中塩の湖トゥズ湖に立ち寄った。この湖は非常に自然で美しい景観をしているところであり、砂浜は塩分で白くなっていた。ここではおいしいチャイを同行者といっしょに味わった。カッパドキアには19時頃到着したが、ただ気温零下2,3℃だったので、バスを降りるとあまりの寒さに震え上がった。この夜、泊まるホテルは何か幻想の世界を思わせるような洞窟のホテルであった。室内はもちろん洞窟風に作られ、まさに中世に舞い戻ったかのように思わせる雰囲気だった。ただ1つ困ったのは排水設備が完璧でないため、便をした時に紙を流すことができなかったことだ。蓋付きとはいえ、使用した紙をゴミ箱にいれるのは、我々日本人には抵抗があった。この日は疲れもあって爆睡した。
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