<ポーランド・ドイツ編>
<第4日目>
アウシュヴィッツ強制収容所から3kmほど離れた場所に第2強制収容所「ビルケナウ(ポーランド名:ブジェジンガ)」がある。ポーランド国内に約1300以上ある収容所の中でもアウシュヴィッツと並び最大の規模を誇っていた。この2つの収容所のことを絶滅収容所と呼び一大殺人工場であった。ここは元々ポーランド軍砲兵隊の兵舎を利用している。
バスを降りてすぐの所にこの収容所のゲートがあり、通称「死の門」と呼ばれ、中央が2階だてになっていた。中に入ると映画やテレビなどよくマスコミに出てくる鉄道引込み線がありその長さは何キロにも渡っているのにはびっくりした。引き込み線の両側に広大な区画が広がり碁盤の目のように規則正しく歩道が作られていた。正面に向かって右側は男性中心で囚人や捕虜になった人が収容されるバラック状の建物が並んでいた。反対側の左側には女性、子供、年寄りが収容された施設が今も建っていた。そこを区分するため有刺鉄線が張り巡らされ、それが唯一当時の状況を偲ばせた。バラックの内部を2ヶ所見学した。1ヶ所は収容者が寝泊りしたらしく、ベッドが3段式になっており1段の囲いには3人から4人、多いときは6人くらい寝かされていたという。それが生々しく当時のままに残されていた。次のバラックは集団洗面所(トイレ)であったらしく、部屋の中央にコンクリートで作られたいくつも穴だけ空けられたものがあった。説明を聞くとこれは囚人用のトイレで、使用は 30秒間だけ許可され紙は80センチの長さのものしか与えられなかったという。それも1日1回のみしか使用することができなかった。これではチフスなどの感染症を起してくれといわんばかりである。ともかくこの収容所はとてつもなく広く見学するには時間が足りなかった。我々グループは引込み線上のあるところに献花して犠牲になった方々の冥福を祈った。
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