古くて新しい街・首都ブカレスト
ルーマニアの首都ブカレストは人口204万人で、カルパチア山脈に広がるワラキア地方の南東部に位置し、緑多い景観と絵のような建物が見事に調和した美しい街で、20世紀初頭には、「バルカンの小パリ」「東欧のパリ」と称された。しかし第2次世界大戦で共産圏側についたことで、連合国側の攻撃を受けた。その後ルーマニア革命の舞台となり、当時の大統領チャウシェスクの独裁的政治で国民は飢え・暗闇・無暖房がもたらされることになった。
その結果全国で暴動や抗議運動が起こり、革命はチャウシェスク夫婦の処刑で幕を閉じた。その後、旧市街の復旧も進み、以前のような落ち着きのある、穏やかな街になっていった。
(第7日目)
ブラショフを早朝に経ち、約3時間30分かけて最後の訪問地ブカレスト行った。到着後、ルーマニア名物トキトゥーラマラムレシャーナ(豚肉のトマト煮込み)の昼食を摂った。
午後ブカレスト市内観光に出かけた。先ずブカレスト市街地の北の入り口にある凱旋門を見た。第一次世界大戦の勝利を記念して1990年に建てられたものだ。パリのシャンゼリゼ通りにある凱旋門に似ている。国旗が凱旋門の真ん中に立てられていたのが印象深かった。マゲル通りから革命広場周辺を徒歩で周ってみた。カルロ1世の騎馬像が立つブカレスト大学図書館、故チャウシェスク大統領が失脚し絶命する前に最後の演説を行った旧共産党本部と革命広場を外から見学した。広場の前に三角形の塔の間にコウノトリの巣のようなものの下から血がしたたり落ちたように付いていたので、ガイドさんに聞くと「あれは1989年民主革命の銃撃戦で犠牲になった人たちを祀る慰霊塔である」と教えてくれた。
革命広場の傍に建つ赤い色をした18世紀建造の教会を見つけた。この建物はクレツレスク教会といい典型的ルーマニア正教の聖堂である。ここからすぐのところに旧王宮跡に建てられたクルテア・ヴェケ教会があった。さらにマゲル通りを行くと、共和国宮殿、アテネ音楽堂が見られた。さらに南下すると高級ホテルや大学広場があり、この辺りは劇場や若者向けのホテルやレストランなどが集中する繁華街である。
大学広場からバスに乗車して大主教教会に向かった。ブカレストのほぼ中心部、統一広場南西の小高い丘の上には、3つのドームが目印のルーマニア正教の教会がある。この大主教教会はルーマニア正教の総本山で、通称「ルーマニア正教のヴァチカン」とも呼ばれている。1654年〜1658年にかけ、ワラキア公シェルバンによって建てられ、その後まもなく司教座聖堂となり、1925年に大司教座が置かれた。
教会内には聖人ディミトリチ・バサボフのミイラが聖体として祀られている。また壁や天井にはキリストや聖母マリア、最後の晩餐など数々のイコンを見る事ができ、古いが歴史があって素晴らしかった。
教会から4500m程行ったところにブカレストのメインである国民の館(別名議事堂宮殿・Palatul Parlamentului)がある。1989年までルーマニアを支配していた独裁者チャウシェスクが巨費を投じて造らせた宮殿「国民の館」は超現実的なほど巨大な宮殿で、床面積が世界中の宮殿や政府機関の建物の中でも2番目の大きさ(1番はアメリカ国防総省ペンタゴン)だというのである。確かに巨大で誰が見ても驚嘆するが、内部はすべて未完成のせいか造りは実に雑で安普請という感じがした。しかし、この館に投じたお金が日本円にして1500億円くらいだったと聞き「えー本当?」という印象を持った。
現在建物の内部は有料で一般公開され、入り口には空港にあるような荷物チェック用のX線装置もあって、かなり物々しい警備体制が敷かれている。一般公開されているとは言っても、単独行動は許されておらず、私たち外国人観光客は英語のガイドの後ろについて見学することになる。地上8階、地下5階建て、地上から尖塔までの高さは84m。延べ坪数は約33万平方m。館内は第一層、第二層、第三層からなる。第一層には大統領執務室、2つの大回廊、各種会議室などがあり、ここをメインに一般公開されている。館の中を勝手に一人で歩き回るのはダメなようで、観光客にうろうろされたくないというのが本音なのだろう。
宮殿内部は、天井、壁、窓枠に至るまで純金が装飾され、幅18m、長さ150mに及ぶ回廊や高さ18m、総面積は2200uで見た目には豪華絢爛というイメージがあるが、今まで見た他国の宮殿と何か違う感はぬぐえない。正に絢爛たる廃墟といったところか。
ルーマニア最後の晩餐は、ミミティ(牛挽肉の炭火焼き)、スープ、プリンに地元赤ワインだった。この夜は1週間分の疲れを取るため、早めに就寝した。
(第8日目)
出発日は、8時に起床してゆっくりの朝食を摂って、荷物出しをしてオトペニ国際空港に向かった。12:55発の飛行機で、ドイツ・ミュンヘンを経由して成田空港に到着した。
<後行記>
「一見は百聞にしかず」という諺があるが、人から聞いたり、書物で知るより自分の目で事実を知る方が確かだということが、今回の旅行で分かった。
ブルガリアはわれわれ日本人にとってまだまだ分からないところがある国でもある。大相撲の大関琴欧州の出身地、ヨーグルトの消費量が世界一、バラの香水などが知られている程度である。
一方ルーマニアといえば共産主義の独裁大統領・チェアウシェスクが1989年の民主化革命によって処刑された話はまだ記憶に新しいが、明るい話では1976年のオリンピックで史上初の10点満点を獲得した女子体操選手のコマネチもこの国の出身である。またアンチエイジング治療の研究で、INGG療法(ジェロビタールH3)を生み出した、医学博士アナ・アスランはあまりにも有名で、私もぜひこのアンチエイジングを詳しく知りたいと思ったが、残念ながら現地ではあまり活用されていないことが分かった。
世界遺産・リラの僧院のフレスコ画とバラ祭りの雰囲気を味わいたかったこととルーマニアの独裁大統領が贅の限りを尽くした宮殿「国民の館」を見たかった。
ブルガリアの公用語はブルガニア語でキリル文字が使われ、ルーマニアの公用語はルーマニア語(ロマンス語)で文字はラテン語なのでアルファベット は英語と同じで、ブルガリアのキリル文字よりも親しみが持てる気がした。何故、お隣同士だがこうも基本文化が異なるのか不思議である。
今回のブルガリアとルーマニアも未だ観光立国としての条件が整っていないが、EU加盟を機に少しずつ改善されているようだ。特に道路の整備とトイレ設備はあまり良くなかったが、物売りや押し売りなどがいないのには驚いた。
ブルガリアの生活情報については平均月収が約\20,000、消費税は20%、経済成長力は6.1%(2006年)、 失業率は10%(2006年)、国内総生産GDPは日本の約1/110、ルーマニアの約1/4(2007年)である。ルーマニアの生活情報について、平均月収はブルガリアとほぼ同じ\20,000程度。消費税は18%、但し子供の養育品や本などは軽減措置が取られていて7%となっている。失業率は6%、生活物資はブルガリアより30-50%高い!経済成長力は4.5%、物価上昇率は8.6%(2007年)というからブルガリアよりは生活しにくいようだ。どちらの国も農業国であるが、ルーマニアは金属、アルミ、石油などの資源もあり農業+工業国を目指している・・因みに国内総生産GDPは日本の1/26.4、ブルガリアの約4倍である。
今回の旅でその国の独自の形態やしくみ、環境や文化など幅広く知識を得られたことは私にとって勉強になったし、よい刺激を受けた思いがする。世界のいろいろな国を見て体験することは素晴らしいし、これからの人生に大いに役立つのではないかと強く感じる。旅は楽しいものである。
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