薩摩揚げの誕生には二つの説があります
江戸時代に琉球と呼ばれた沖縄に中国・福建省から揚げ物料理の一つとして伝わり、これを「チキアギ」と呼び、やがて薩摩に渡って「つけ揚げ」になったという説と、島津藩主・斉彬公が藩の産業発展策として、大量に獲れる小魚の加工を奨励してできたという説です。
「薩摩揚げ」が一般に広まるのは、菜種油が普及する江戸時代後期以降と考えられています。
一般的には、タラ・イトヨリ・小あじ・小さば・飛魚が材料で、上物としてはエソ・ハモ・グチ・真鯛・金目鯛・メバル・鰹などが使用されています。
それぞれの魚の特性を考えて、ある一定の比率で配合していくもので、その配合比率の違いが特長となり、味の違いとなります。
魚肉に含まれるたんぱく質は、不飽和脂肪酸を多く含んでいるため、血中コレストロールを下げる働きがあります。
また、薩摩揚げは油で揚げているため表面の茶色の部分がメラノイジンという物質になり、魚肉のたんぱく質が酸化しないように空気から保護されているため良質な不飽和脂肪酸を体内に取り込む事が出来ます。
揚げ油として使われる菜種油にはリノレン酸、オレイン酸が含まれており、これには血中コレステロールが体内で増加するのを抑える効果があります。
さらに魚油に含まれるDHA・EPAなどの成分が中性脂肪を下げる効果や、胎児や育児の発達にとても大切であるといわれています。
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