流行病が大きくかかわった戦争にペロポネソス戦争(アテネとスパルタの戦争)がある。この戦争は大疫病に悩まされた戦争でもあった。スパルタの軍団が当時、権勢と文化の絶頂にあったアテネに進攻した際、突如起こった疫病の出来事である。
進攻によって家を破壊され、逃げ場を失った村人の群れが、アテネに入り込んだため激しい暑さ、腐った溜まり水から瘴気などが伝幡していき、原因も前駆症状もないまま、2年間にわたり猖獗をきわめていった。その結果アテネの人口の三分の一が亡くなった。スパルタ軍も四分の一の兵を亡くした。
それまで神に対する信心を持っていた人々は、「神殿で唱えられていた祈りや神にお伺いを立てることをやめ、人々は神を頼ることは諦めてしまった」。しかし、「流行病」の勢力が収まってくると、人々は律儀に疫払いするためにアポロン像の建立や神殿を建てていった。
アテネを襲った大疫病の正体は、単一の感染症ではなく発疹チフス、ペスト、天然痘、デング熱などと分析されたが、結果的にはアテネ疫病は確実に特定できなかった。
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