日本の医学史を知る上で西洋医学と同様に宗教医学・神殿医学との関係が重要になってくる。初期の頃の日本医学では草根木皮の漢方および僧医の加持祈祷、呪文である宗教的経験が古代から引き継がれてきた。もちろん欧米にも古くから先人を敬愛・尊敬する風習はあった。1700年江戸時代中期にはオランダ語によって西洋の学術を研究しようとする学問が現われてきた。それが蘭学である。蘭学医の中でも杉田玄白、大槻玄沢らが牽引役となった。その蘭学医たちの努力によって西洋医学が導入され、日本の医療の世界が変貌していった。その基礎となったのがヒポクラテスである。ヒポクラテスが日本で最初に紹介されたのは足利時代と言われている。以後南蛮時代にはキリシタン布教とともに西洋医学が盛んに行われた。その代表的なものがヒポクラテス医学である。ヒポクラテス医学が普及すればするほど日本の医師にとってヒポクラテスは理想的医師像(医聖)として広まっていった。その普及に一役かったのが肖像画であり、銅版画およびブロンズ像であった。この西洋の医神であるヒポクラテスを崇拝することが医学を賛美することにつながり、自分たちの心の支えとなっていった。 |