内科学は古代より重要視され、医学の基礎を成すものであった。中国・インド医学では原点として発祥し、メソポタミア文明では医学の支流であった。特に古代中国では、紀元前の五帝時代の医学書「黄帝内径」にも内科学が記載されている。
内科学は主に身体の臓器(内臓)を対象として、診療・研究する分野であった。
ヒポクラテス時代の医療では、病名をつけることはあまり重要視していなかった。病気の症状や病状にあわせていかに治療するかが本来の医療と思われていた。例えば、一般的には症状の一つである「発熱」は、病気そのものであると考えられていた。発熱にはいわゆる「単純な発熱」がある。これは心臓からくる発熱であり、汚れた体液を発熱によって煮ているとされていた。それに対して、「消耗熱」といって重篤な発熱があり、これは湿気が失われて起こるものである。発熱の中でも最も怖いものは「悪疫性の発熱」で、ペストやチフスなど悪性の感染症として恐れられていた。
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