ヒポクラテス以前、アポロンの息子で医術の神アスクレピオスは、感染症についてかなりの知識を持っていた。アスクレピオン(神殿)の中には感染予防のため隔離した場所が造られ、デロスにおけるように屍体を神殿の中に埋葬することを法律によって禁止していた。
ギリシャの哲学者でシシリア島出身のエンペドクレス(紀元前493〜433)は山中の裂け目を埋めることで川から瘴気を抑えた。また他の医師はかがり火を焚くことでアテネの流行病を抑えた。
ヒポクラテスは全集の中で「流行病」について7巻にわたって記録と著作を残している。特に、感染症全般にわたる基礎理論的な情報記事と、多種多様な臨床・観察記録をまとめている。ギリシャ人たちは多種多様な感染症を患っていたようだ。
この時代のいう「流行病」とは、「人々の間で流行している」や「伝染して流行する病気」を意味していた。現代医学でいう流行病や伝染病と違い、ある一定の地方によくみられる病気を指していたようだ。
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