「医学」は大学で学べば学ぶ程奥深い領域であるということを自覚した。ましてや現代社会では医療の主流として受け入れられない代替・相補医療の1つであるカイロプラクティックとなれば米国で難しい立場であることは自覚せざるを得ない。しかし我々の先人達は幾多の苦難を乗り越えてヒポクラテスから医学の本質を獲得していった。宗教は多く存在するが信ずる神は1つ、医学も同じく目的は1つ患う者の体を治すことにある。この精神から言うと医学を学ぶ者として、いかに患者の体を癒し治癒させることが最重要課題であるかが分かる。「健全な身体に宿る健全な精神」という健康の女神ヒェギエイアの言葉があるように健康とは身体の全ての部分が調和的に統合されて、バランスを保って配列されているものである。古代では健康とは物事の自然な秩序であり、自己の生命をうまく制御した者に与えられる無条件の属性であると考えられていた。現代ではギリシャのみならず世界の国々でヒポクラテスを偉大な医聖で「医学の父」として崇めている。20世紀に入ってヒポクラテスは医聖としての地位が不動なものとなり、医師のシンボルとして世界の医学校において、医学教育や卒業式の宣誓として採用され「医学の父」として崇拝されるようになっていった。またヒポクラテスは「医学の父」であると同時に「薬学の父」「環境医学の父」としても知られている。ただ「ヒポクラテスの誓い」だけを宣誓するのではなく、医学観や医学倫理を知り実践していくことこそ医師として最も大切なことではないだろうか。それを教えたのがヒポクラテスであり、「医学の父」として崇められている由縁である。 |